長岡祭りが始まりました。長岡祭りは昭和20年8月1日の長岡空襲の慰霊祭です。
今回は、私が父から聞いた長岡空襲の思い出を書きます。
父が中学生くらいの頃の事です。8月1日の夜、空襲警報が鳴り響き、空襲が始まりました。しかし爺さん(私の曾祖父)が、「俺は逃げん。この家とともに死ぬんだ!」と言い張り、しかたなく家族は爺さんを残し全員信濃川の土手の水道タンクに向かったそうです。
父は家族とも離ればなれになり必死に水道タンクに向かって走ったのですが、途中「水道タンクは目立つから敵の目標になるかもしれない」と思い川下方向に逃げ、たぶん今の東中学か長岡大橋付近に隠れいていたそうです。
夜が明け父が水道タンクに向かうと、そこには逃げないと言い張った爺さんがいたそうです。父は爺さんと共に帰ると家は全焼、まだ柱がくすぶっていたそうです。
幸い我が家は全員無事でした。しかし町内では多数の方が亡くなり、中には全員が亡くなった家もあったそうです。表町通りから旧互尊文庫に行く入り口に「長岡空襲爆撃中心点の碑」という看板がありますが、我が家はそこから徒歩数分の距離。我が家の周りは本当に酷かった事でしょう。
毎年花火が楽しみですが、長岡で起きた事を忘れてはいけません。戦争は嫌です。